仕事の上司でもある母の30周年と、マミィの10周年の記念パーティーが行われた後の出来事でした。
ごく限られた人数しかご招待できませんでしたが、普段は“幼稚園児、小学生のママさん”である仲間達も、その日は“幼稚園の延長保育”や、“小学校の放課後サポート”に子供達をお預けいただき、ドレスアップしてお越しいただき、開宴から涙と笑顔の絶えない、非常に感謝溢れる数時間を過ごさせていただきました。
楽しい宴もあっという間に過ぎ、「お茶組」、「まっすぐ帰宅組」・・・などと、それぞれ解散した直後の地震発生でした。
乗った直後の地下鉄に閉じ込められたメンバー。今にも倒れてきそうな勢いで前後に揺れている大きなビルを目の前に地上で立ちすくんだメンバー。
それぞれに一歩でも先へと歩き出したり、バスに乗れるまで何時間も並んだり、缶詰状態のバスで5時間もかけて渋谷から池袋まで移動したり。
バラバラであっても、あの時、目指すべきは皆共通してただひとつ、子供のお迎えまでに帰路について、無事子供達と会えることだけだったと思います。
どこへかけても携帯はつながらない。途中のコンビニですぐに買った充電池は壊れ、替えを買おうとしても既にどこも売り切れ。電車は動かない。タクシーは拾えない。ドレスアップした装いは、晴天の中でも防寒にはならず、ひたすら歩き続けながら汗ばむ体と裏腹に手足や腰は冷えと疲れで次第に感覚が麻痺していき。
どうやっても間に合わない子供のお迎え…、それを幼稚園や小学校に伝えることも出来ず、我が子の安否すらも分からない。
パーティーには列席できず、地元に残っていたメンバーにヘルプを出しました。余震が続く中、何度、幼稚園や児童館に電話をかけ続けてもつばがらないからと、出向いて先生方に伝えて下さったメンバーもいました。一人、安否が確認出来る度、メールで知らせてくださった方々も、本当にどうもありがとうございました。
全ての列席者が無事帰路につけたのは翌朝4時近くになっていました。
子供達や家族と再会出来、全員が辿りついた報告を受け、ホッとしたのもつかの間、ニュースを見て初めて事態の大きさを知り、ショックを受けました。
その後のことは、先日の記事のとおりです。
人とのつながり、絆のありがたみを1日中感じ続けた日でした。地震が起こる前も、起こった後も。
元気でありたいと思います。体も心も。
頑張って生きていくために、そうでありたいと思います。
だからやっぱりマミィは、今の仲間たちが居てくれることや、今の仕事に誇りを持ち、頑張っていきたいと強く思っています。